すべて私の高望み

バツイチ独身子供なしHSPの40代の会社員。前向きに生きたいと思いつつ、日常ではなかなか言えない本音を綴ります。

メディアなんて

ほんとにまだまだ

独身のまま生きていくことがマイノリティなんだな

テレビのニュースも

電車の広告も

どこかのアナウンスも

全て家族に向けたもの

また多くの人が家族をもつことが前提に向けられたもの

子育て支援とか

不妊治療の助成金とか

そんなニュースばかり耳に残って

支援してもらえる縁がなかったなぁなんて

 

独身のまま健康で働いていったら

それは確かに支援はいらないか

でもなんだか世の中から

ちょっと見放されている感じがして寂しかったりする

子供のいない人生を受け入れる事は

まだまだハードルが高いみたいだ

自分で自分をコントロールする

繊細である自覚があるから

コントロールが大事で

人との距離や合わせすぎない事

それ以上に

自分で自分をあげてくことも大事だ

どうせ同じ時間を過ごすなら

少しでも幸せに過ごした方がいい

わかってるけどついネガティブになる

 

この心のクセは

自分で治さないとな

でもどうしようというのが本当のところ

繊細さん

日によっていい日と

日によって悲しい日と

人間なんだからあるあると思っても

日によって違う自分の感情に疲れてしまう

繊細さんという言葉を知って

また少し楽になる

 

自分がしんどかったのはこのせいだったのか

アウトプットが大事っていう事で

今日はここに少し気持ちを書いて寝ます

私の癖はかんがえること

特にちょっと嫌だった誰かの言葉とか

ちょっとイラッとした事とか

 

人には言いたくないし

言わないけど

だからかきっと自分から離れない

それがあまり良くない作用をしている事は知っていて

やめなくちゃと思っているし

気が付いた事で

なんとか出来るかもな

 

子どもを持つことも一緒

考え始めたら

もう子供を持つ事は私の人生で起こらないと思ったら

悲しい事ばかり考える

 

こればかりはでもどうしようもない

 

明日死ぬかもしれないし

どうせなら笑っていたい

 

 

それぞれの人生

欲しいものを次々あげたらきっとキリがなくて

キリは自然とそれぞれつけているのだろうけど

結婚して子供をもって

子供はこうなって欲しくて

こんな大学行ってほしくて

こんな人と結婚して欲しくて

家を持ったら

孫が見たくて

 

次々とキリがない

 

私はもはや最初の段階で躓いて

社会のレールから逸れた気がして

焦って頑張って叶わないことにどんどん落ち込んで

自分の存在価値もわからなくなって

孫が見せられない両親への罪悪感と

独身女性の肩身の狭さを内側に隠して

結婚して子供のいる友人から距離を置いて

 

人を支える今の仕事をしている時だけ

色んなことを忘れていられる

忘れたいためじゃないけど

せめて社会の一部でいる

なのになんでこんなに居心地悪いんだろう

 

早く価値観が変わったらいい

年齢を聞くこと

結婚や子供の有無を聞くこと

私を見て女性と思うこと

全ての人が生きやすい世の中に

ひとりが好き

ひとりが好きなのか

ひとりでいるうちにひとりが好きになったのかわからないけど

人の気持ちを気にしやすい私は

ひとりになるとすごく楽に感じている

誰かの感情や話しに集中しなくていいし

思うままに行動できる

 

母親には向いてなかったのかななんて言いたくないけど

そうでなくても

ひとりを楽しむしかないでしょ